むかしむかしのはなしだ。

 ばあちゃんとはぐれて迷子になっていたぼくを助けてくれたひとがいた。知らない男のひとだった。顔は思い出せない。けれど、握っていた手の感触は覚えている。ごつごつとした、おおきな手だった。
 何度も来たことのあるデパートなのに、ばあちゃんの姿が見えなくなった途端、まったく見たことのない世界のように思えた。あのときのぼくにとって、おじさんの手のあたたかさだけが、ぼくのいた世界に通じる、ただひとつの道しるべのように感じたのだ。
 なかなか泣きやもうとしないぼくに、おじさんはきらきら光る石を見せてくれた。

「ダイヤモンドだよ」おじさんは言った。「まあ、つくりものだけどね」

 おじさんは学生時代に親友からもらったというそれを、とても大切にしていた。御守りだという。

「でも、傷だらけだよ」

 今思えば、なんて心無い言葉だったのだろう。けれど、おじさんは怒らなかった。そうだね、と笑いながら傷をなでていた。

「僕はね、こいつをニコラス・ツェーと呼んでいるんだ。君、カタカナはもう勉強した?」

 ぼくはこくりと頷いた。おじさんはつないだ手は放さずに、空いた手の指先で、ぼくのもう一方に手のひらに「ニ」「コ」「ラ」「ス」「ツ」「ェ」「ー」と順番に書いてみせた。ぼくは書かれた文字を心のうちに刻むように、手のひらをぎゅっと握り締めた。

「ニコはこのダイヤモンドのような俳優だ。表面に無数の傷があるからこそ、いろんな色を見せてくれる。だからいつまで経っても飽きない。今度はどんな色を見せてくれるんだろうってわくわくするんだ」

 ニコを見てると、なんでもできるような気がするよ。おじさんは言った。おじさんにとって、ニコラス・ツェーはヒーローなのかもしれない。ぼくにとってのバットマンのように。


硝子のジェネレーション 香港少年激闘団
原題:新古惑仔之少年激闘篇 1998年/香港映画

「ネズミがつまったずだ袋の中に顔をつっ込まれるからラットマンと言ってもいいかもね」

 ばあちゃんがニコラス・ツェーが好きだと知ったのは、ぼくがダニエル・ウーを知って、しばらく経ってからのことだった。硝子のジェネレーションは、ばあちゃんのお気に入り映画のひとつだという。

 ニコラス・ツェーが演じるのは主人公ナン。彼はいつもどことなく寂しげで遠い目をしている。世界に居場所を見出せずにいたのもかもしれない。自分がどこにいるのか、どこにいるべきなのかわからない。そういった思いが彼に、彼の仲間たちが思わず足をとめてしまうような瞬間でも、一歩、足を踏み出させていたのだろう。その一歩が、彼をどんどん戻れない場所に追いやっていく。黒社会。彼の父親はそこで無残な死を遂げた。彼の身に降り注ぐ理不尽なことがすこしずつ彼から選択肢を奪っていき、ついには彼に、最後の一歩を踏み出させるのだ。

「斬りつけられたニコラス・ツェーに、サム・リーが痛み止めとしてヤクを吸わせるシーンが野生の生き物が口移しで餌をわけあうようで、動物的な色気があってすごくいいのだけど、ばあちゃんのいちばん好きな場面はそのあとにあるここだね」

 ばあちゃんが指をさした先には、檻に入れられたニコラス・ツェーサム・リーが映っていた。鎮痛剤代わりに吸ってしまったことをきっかけに、ふたりとも薬物中毒になってしまうのだ。目の下にクマを刻み、真っ青な顔で叫ぶふたりに、周りの人間は容赦なくホースで冷たい水を浴びせかける。

「このニコラス・ツェーは凄味があっていいね。追い詰められた表情が迫力あっていいんだよ、このこは。ばあちゃん、何度見ても見入ってしまうよ」

 ぼくは頷いた。内側から肉を食い破られているかのような痛みと苦しみに喘ぐニコラス・ツェーの姿からは普段彼を取り巻いている華やかな空気がひっこんだ代わりに、なんだか形容しがたい眩しさを感じた。
 それから、ついでに言ってしまうとニコラス・ツェーの前につきつけられたずだ袋の中に入っていたネズミの大きさはラットなんてもんじゃなかった。

 恐れを取り込んでなお高く飛び立っていくものがヒーローでありスターなのかもしれない。ネズミの鳴き声に混ざって聞こえるナンの叫びに、ぼくはそっと思った。