仕事を終えたおんなを待っているもの、それは一杯の酒と、韓流である。
「どっこいしょ」
 机のうえに並んだ酒瓶とざくろ酢のボトルを押しのけて、ノートPCを立ち上げる。DVDドライブに挿入するものはもちろん決まっている。『新しき世界』だ。
「2月1日の公開日からもう1ヶ月半か…」
 おんなが映画館ではじめて観た日からはおよそ1ヶ月である。その間、おんなが得たものは、海外版『新世界』DVD4本、イ・ジョンジェ出演作DVD16本。クレジット・カードの請求額が凍てついた隙間風で冷え込む室内温度をいっそう下げる。しかし、おんなは感じていた。まだ、終わらないのだと。
 モニタに映し出される、もはや見慣れたと言ってもいいほどに繰り返し見た映像。耳になじんだ音楽。それでもなお、それらはおんなに新鮮な興奮をあたえてくれる。網膜にやきついた請求額も数字の羅列となって、あっという間に意識のそとへ流れ落ちていく。
 そうして、おんなは思う。
「スーツ男たちに囲まれた兄貴って、ギャルゲーの主人公みたいだよね」






チョン・チョン(ファン・ジョンミン)

 俺の名前はチョン・チョン。まわりの人間からは「兄貴(ヒョンニム)」って呼ばれている。柄じゃねえやって思っていたこの呼び名もいつの間にかなじんで、俺をつくりあげるもののひとつになってしまった。兄貴。兄貴。兄貴。呼ばれるたびに足元がかたくなっていくのを感じる。俺はしっかりと地面を踏みしめる。さあ、愛すべき舎弟たちのもとへ向かうとするか。





「ばかっ、兄貴なんてもう知らない!」

そっけない態度の奥に揺れる心を抱く古女房ヒロイン…… イ・ジャソン(イ・ジョンジェ

 兄貴からのプレゼント。嬉しくないってわけじゃないけど、中身については期待しない。だって、このひと趣味がわるいんだもの。そう思いながら、手渡された箱を開けてみたら案の定……ひと目でニセモノとわかるブランド時計。あーあ。予想はしていたけど、やっぱりなんだかがっかりしてしまう。つい、いつもよりそっけなく突き返す。ここにいる私も、ニセモノかも、しれないんだよ…? ニセモノがニセモノをつけるなんて悪趣味にもほどがあるじゃない。


「兄貴、ジャソンさんのことはまかせといて!」

不器用なジャソンを器用に支えるしっかりものヒロイン…… ソンム(キム・ユンソン)

 目の前には懇願するオトコ。だけどジャソンさんは眉ひとつ動かさない。でもそれは私も、ここにいるほかのみんなも同じ。顔に出してしまったら命取りになるコトだってある、ここはそういうセカイ。ジャソンさんの冷たい顔を眺める。こんなことはもうすっかりなじんだって顔。そりゃそうだよね、私より長いことここにいるんだから。だけど、なんだかこのひとほっとけないところがあるんだよね。それに兄貴のたいせつなひと、だしね。
 

「ほーら、元気出してっ、兄貴」

兄貴をそっと見守る健気ヒロイン…… ヤン・ムンソク(ナ・グァンフン)
 後部座席にすわる兄貴の顔はかげっている。彼の手に持つ書類のことを考えたら、それも納得。私だって驚いてるんだから。でも、私にはなにも言えない。そう、いつだって悩み苦しんでる兄貴を見つめることしか私にはできないのだ。私は彼の言葉を待つ。兄貴の携帯が鳴った。わずかに見せた逡巡だけで、誰からの電話かすぐにわかった。兄貴……。私は、ただ待っている。


「ボクだってしっかりしないと…。ねっ、兄貴」

ソンムとともにジャソンのサポートにつとめる豆顔ヒロイン……手下1(テ・イノ)

 オトコの足元に向けてかなづちを振り下ろす。ジャソンさんやソンムさん、それにほかのみんなも見ている。たとえ、ためらいがあっても、そぶりに見せてはいけない。ほんのすこしの弱味がおしまいにつながる、目の前のオトコが誰よりもそれを僕に教えてくれる。オトコの懇願の眼差しよりも背中にあたる視線のほうがずっと鋭く突き刺さる。僕もしっかり頑張って、ジャソンさんやソンムさん、そして兄貴みたいにならなくちゃ。


「兄貴ぃ、びっくりしたぁ…」

画面右から4番目(チョン・チョン右隣)公家顔ヒロイン…… 手下2(イ・ギョンホン)

 駐車場に出た僕たちに向かって、車が勢いよく突っ込んでくる。とっさに兄貴をかばって前に出るジャソンさん。さすが、と思う一方で出遅れたことに対するふがいなさがこみあげてくる。兄貴はたぶん、責めはしないだろうけど、僕たちはそういう兄貴に甘えてはいけないんだ。


「兄貴、それはちょーっと痛いかも…」

画面右から4番目(ソンム右隣)割れ顎ヒロイン…… 手下3(チャ・ヨンハク)

 ソンムさんの頬に兄貴のひらてが飛ぶ。ジャソンさんにそっけなくされた兄貴のなかばやつあたりであってもスキンシップには変わりはない。ソンムさんの横顔を見る。わずかに戸惑いを見せながらも、そこに反抗の色はない。無邪気な暴力をだまって受け止めることも、僕らの、シゴト。


「兄貴、もうへとへとだよぉ…」

兄貴にどこでも付き従うわんこ系ヒロイン…… チョン・チョン系1(チョン・ジェホン)

 今日はなんだか兄貴の口数がすくない。なにかがあったとしても、そこに僕のような下っ端が踏み込むことはゆるされない。重たくかげる室内は、そのまま兄貴のこころのうちを表しているよう。兄貴。重圧に耐え兼ね、何度でも喉元までせりあがってくる言葉をその都度、必死にのみくだす。はやく笑いかけてくれたらいいのにな、と思うのだけど、どうやらそうはいかないみたい…。


「どうぞ、兄貴のお好きに」

黙ってつとめをまっとうするクール系ヒロイン……チョン・チョン系2(イ・ヒソク)
 とっさに反応はできなかった。だって「殴れ」だよ。兄貴ったら、あいかわらず何を言い出すかサッパリわからない。だけど命令どおり、助手席に目をやり、手を振り上げる。こちらに向けられる戸惑いの眼差し。こーら、あんたもそういうとき、いちいち顔に出さない。ただでさえやりづらいマネが、さらにやりづらくなるじゃない。手のひらに肉がぶつかる感触。車内に響き渡る音。笑い声。まったく、兄貴にも困ったもんだ。


「兄貴、私、頑張るから」

振り向けばそこにいる、漂う魚顔ヒロイン…… チョン・チョン系3(キム・ソウォン)
 キム理事の視線が横顔にそそがれる。いや、キム理事だけじゃない、何かを察したほかの理事たちもこちらに視線を向けている。それもそうだ、彼らの想定外のことが起ころうとしているのだから。だけど、私はこたえない。いつもどおり、黙って立っていればいい。そして、これから起こることを見届けるのだ。


「はい、兄貴」

無表情に徹しきれない、ちょっぴり隙のあるヒゲ面ヒロイン…… チョン・チョン系4(パク・チフン)
 視線に呼ばれて足を踏み出す。肩にまわされた兄貴の手。しっかり押さえ込む手の感触に、このひとは人に触れることが好きなひとなのだろう、とふと思う。促されるままにライターの火をつけると、ちいさな炎のあかりが、傍らに寄せられた兄貴の顔をほのかに照らした。唇に挟まれた煙草に橙色がじわりと灯る。気持ちよさそうに細められた眼差しが、煙草の焼ける音とともに私の胸を焦がした。


「よっしゃ、いっちょやりますか、兄貴!」

スーツのしたに生命力をみなぎらせる武闘派ヒロイン…… チョン・チョン系5(カク・チンソク)
 左腕にはまだ無理矢理掴みこんだ腕の感触が残っている。今日過ごした時間がおなじように明日にも存在しているとは限らない。ここはそういう世界だ。誰に言われるまでもなく、それはよくわかっている。だけど心の中でくらいは罵らずにはいられない。畜生、いったいどうしてこんなことになったんだ。


「仕事、だもんね、兄貴」

画面右端小顔ヒロイン…… チョン・チョン系6(クォン・ヒョク)
 革張りのソファにゆったりと体を預ける男を見下ろす。こちらの視線を受けても、男にたじろく様子は微塵もない。お前たちのような下っ端とおなじ土俵に立つつもりはない。悠然とした態度は言外に、そう告げているようだった。傍らの同僚をちらりと見やる。男の心中などどうでもいい、そんな顔。そうだね、どうでもいいよね。ね、兄貴。


「しょうがない、よね、兄貴……」

画面左端くたびれヒロイン…… チョン・チョン系7(シン・ソンイル)
 重みが増したドラム缶を力いっぱい蹴りあげる。中身に何が詰まっていようと、いつもと変わらない作業。ドラム缶は、海に向かって吸い寄せられるように転がっていく。ばしゃんと海が砕ける音がしたら、それで仕事はひとつおしまい。また次の仕事が待っている。何も変わらない。だけど今日はほんの少し、疲れちゃったな…。


「……………兄貴」

きっとどこかにいるヒロイン…… チョン・チョン系8(ナム・ギョンミン)

 ※不明につき、存在感のある丸刈り頭を眺めておいてください


「これでいいんだよね、兄貴」

画面左端やんちゃ面ヒロイン…… チョン・チョン系9(ハム・ジンソン)
 あわれな男を乗せて、車は二度と戻れぬ場所に向かって進み始める。作業完了の確認とごくささやかな供養をかねて最期を見送る。背をむけた瞬間、きれいさっぱり男の存在は頭のなかから消えてなくなる。よっしゃ、ひと仕事終わり。さーて、戻りますか。


「行こうよ、兄貴」

画面右から2番目平目顔ヒロイン…… チョン・チョン系10(ソ・ジョンチョル)
 扉が開く。背をぴんとのばしたジャソンさんが立っていた。右から左へと視線だけ動かし、並んだ顔ぶれを確認すると、あとはもう興味ないといった調子で足をすすめる。背後に付き従うだけの私には、ジャソンさんの心中を窺い知ることは決してできない。だけど、その足取りには確かな何かを見据えた力強さを感じた。いっしょに頑張ろうね、ジャソンさん!





「おかえり、兄貴!」

両手では足りない数の舎弟(ヒロイン)たちがいつでも兄貴(アナタ)を待っている……




 おんなの意識のなかで、チョン・チョンを取り囲む男たちがひとつに混ざり合い、やがて「ハーレム」という言葉になった。
 ハーレム。それは、ひとりの男の持つ権力を複数の男たちの姿に変換したドリームクラブ。ひらたく言うと、目が合っただけで「そちを抱く」というサインになる世界だ。


 やったね!
 おとこたちを!!
 いっぱい抱く…!!!


「つまり、やおい……」
 内側からも外側からも男に絡み取られる男しかいない『新しき世界』とは、おんなのなかでどこまでもやおいにしか辿り着かぬ映画であった。


 やっばい!
 おとこたちが!!
 いっぱい抱かれる…!!!


 おんなは昼間から深夜のテンションで男たちのハーレムを噛み締めるのであった。



forever...