拝啓 林超賢 様


 はじめまして、こんにちは。


 観ました、『激戰 UNBEATABLE』。
 観終えたとき、気がついたら二回目をすでに観始めていました。
 二回目を終えたときには、三回目を。
 そして今、四回目の『激戰』が私の六畳間に流れています。



激戰 2013年/香港映画


 この、半裸でメンチ切ってる坊主のおっさんと若造が師弟関係にあると知ったときの私の気持ち、おわかりでしょうか。
 師弟。なんの縁もない人間が「継承」、ただその一点によって結びついている関係。受け継ぐものは技術であり、意志であり、哲学。いわば魂そのものです。ゆえに別ち難いほどに強く、深く結びついているのだと……つまり、魂レベルで常時セックスしてる関係であると、私は思うのです。ひととひととの結びつきをなんでもセックスの一言でまとめようとしてしまう、私の浅はかさをお許しください。ノーセックス・ノーライフ。
 私が坊主のおっさんと子犬のように澄んだ瞳をした若造に向ける目がどういったものか、監督に伝わったと思います。そして、どれだけ平静でいられなかったのかも。


 それだけに、香港から届いたBDとDVDを受け取ったとき、私は途方に暮れました。興奮のあまり、どうしてよいのかわからなくなってしまったのです。
 震える手で包装ビニールをやぶり、床に放置したのち、足は自然にトイレに向かっていました。いつもより多くトイレットペーパーを巻き取ったところで気持ちはちっとも落ち着きません。気がつけば、全裸で水浴びをはじめていました。



 真冬である。浴槽にはった透き通る水は刺すような冷たさであった。斜めにかざした桶から流れ落ちた水が肌にふれるたび、からだ中の筋肉がびくりとはねるのがわかった。
 だが、冷気が全身を刺し貫くたびに、斧子は、おのれの奥にある、芯のようなものが、徐々に熱くなっていくのを感じていた。
(おれは激戰を観るのだ)
 近付きつつあるいくさの予感が、斧子を高ぶらせていた。


 心の声までも中途半端な司馬遼太郎調になる始末でした。


 監督とはじめて出会ったのは、いつの頃だったでしょうか。
 
 
 あれは1、2年ほど前、『重装警察』であったように思います。
 潜入捜査員として任務に従事していたチン・ガーロッの肉体を、マフィアの放った銃弾が貫くのを、目を瞑れば、瞼の奥に今でも鮮明に思い出せます。
 撃たれた場所が悪かったばかりに下半身不随となり、車椅子生活を余儀なくされたチン・ガーロッ。
 けれども監督は、そこに「幸い脊髄の損傷は免れて、治療費は高額ながらも手術をすれば回復する可能性もある」という希望をそっと織り込んで、厚い友情に燃える男たちに地獄絵図を展開させましたね。


 それから、仲間に見捨てられたという絶望と、なによりも自分が死に追いやった人間たちに対する罪の意識で静かに心を壊れさせていったホアン・シャオミンが銃を乱射しながら発狂する場面が印象的だった『スナイパー』。
 もちろん『ブラッド・ウェポン 逆戦』も忘れられません。
 見るからに「ソイツ…裏切るぜ…!」と指差しで言わずにおれないような悪党面をしたアンディ・オンが案の定ばっちり裏切ったばかりに、ちいさなお目めにまばらに生やした無精ヒゲが、いかにも純朴な森のくまさんといった雰囲気を醸し出していたジェイ・チョウが重傷を負う羽目になっていましたね。このとき、ただジェイ・チョウの脳に銃弾をめりこませるのではなく、彼の目の前で、彼の愛する女の頭蓋を貫いたうえで、というあたりが「ああ、監督だな」って心から思いました。さらにその銃弾に脳を圧迫していずれ全身麻痺に陥らせるという時限爆弾的役割までさせるなんて、実に勢いよくダンテ玉が転がってんなって。
 そう、このときからです。私が、「おらよ」とばかりに監督がキャッチボール感覚で放り投げる、登場人物たちの身の上になんの前触れもなく降ってきて雪だるま式におおきくふくらんでいく不幸を「ダンテ玉」と呼ぶようになったのは。


 今回の『激戰』でも冒頭5分でダンテ玉、ふくらみきってましたね。
 放浪の旅から戻ってきたら父親の会社が倒産、大破産していた青年、酒缶片手に眠り込んでいる間に幼い息子を喪ってしまった母親、そしてタクシーに火炎瓶投げ込まれた挙句、借金取りに追われて全力疾走する男……オープニングの時点で激戦としか言い表しようの無い人生模様がしっかりと提示されていて、監督の絶好調をしかと確認した次第です。


 だけど『激戰』で監督が投げつけてきたボール、それだけじゃなかった。



程輝(ニック・チョン


 ニック・チョン。私が彼の名前を舌先の転がそうとすると、口は自然にロ・リ・イ・タ、という形になります。ロリィタ。1964年生まれ、今年で50歳になる彼は9ヶ月もかけて絞り、鍛え上げた肉体と朴訥とした坊主頭を得たことによって、その身に完全にロリィタの皮をまとうことになりました。
 幼い少女と戯れる姿はあどけなく、若くたくましい青年に時折みせるのは少女のような眼差し……それでいて年相応のくたびれた中年の顔をしっかり持っているだから魔性としか言いようがありません。
 そんな魔性の坊主の人生すごろくは、若くしてボクシング王者に輝きながらも若さゆえに八百長試合に乗ってしまい身を持ち崩し、借金取りに追われ香港から澳門に流れてきたところからはじまります。



林思齊(エディ・ポン)


 ロリィタという概念がおっさんになったものがニック・チョン演じる輝ならば、頭からつま先まで瑞々しさをまとったエディ・ポン演じる思齊は、わんこという概念がそのままひとの形になったような青年です。しばしば口が半開きになっているところなどは、いかにものびのびと愛情深く育てられた飼い犬といった調子でなごみます。
 現地の人々と触れ合いながら大陸をまわる、悠々自適な自転車の旅を終えた思齊を待っていたものは、父親の破産という現実でした。すべてを失ったショックから立ち直れず、酒とカジノに溺れていくばかりの父親を背負って歩く彼の目に飛び込んできたものは高額な賞金を手に入れることができるMMAトーナメント。思いがけぬ不運によって逆境に身を置くことになろうとも、なお真っ直ぐであろうと踏み出したその先で、彼は、丸めた背中にくすぶった魂を抱えた元王者と出会ったのです。



小丹(クリスタル・リー)


 澳門の地に逃れてきた輝にとってのかけがえのない出会いのひとつ、それが小丹と王明君の母子です。
 明君は夫に捨てられたショックから酒に溺れ、それゆえに幼い息子の身に起こった不幸な事故に気づけなかったことで自分を責め続けています。家中雨漏りのするあばらやに、板をかぶせられ閉ざされた浴槽。それは息子の死をなおも心に抱き、嘆きと罪の意識を澱のように積もらせ続ける明君の姿そのもののように思えました。
 そんな澱んだ世界でひとり母親を支え、守り続けているのが小丹です。トーナメントの裏で繰り広げられていた、少女の孤独な戦い。彼女の戦いは母とともに生きることそのものでした。聡明な少女は、母親が自分に依存をみせる一方で、自身の弱さと戦っていることを知っています。明君の戦いを見守り、支えるために、彼女の前で笑い、おどけてみせる小丹の姿は作中もっともしびれる場面のひとつです。


 『激戦』においては、喪失感を抱えた大人とそれを支える子供の姿がひどく印象的に残ります。
 子供たちは無知であることを許されていた、もしくは望まれていたがための無垢さをもって大人たちを癒すのではありません。思齊も小丹も親というもっとも身近な大人の喪失を目の当たりにし、その姿をずっと見続けていた子供です。親の心に刻まれた傷は知らぬ間に子供たちの内にも宿り、幼い心に痛みを植えつけます。それでもなお笑もうとする、やわらかな強さが大人たちの胸を打つのです。戦いとは拳をふるうことではなく、前を見据える、ただその行為そのものであるのだと、無垢さを失った笑顔は伝え続けます。
 輝が思齊に、小丹に告げた言葉は、かつて彼自身も師父から告げられたものです。自分を信じろ。恐れるな。恐れたら、負けだ。輝がいつの間にか忘れていた教えは、輝を通じて思齊のなかでよみがえり、ふたたび輝のなかで息を吹き返します。
 傷を負った中年がおっかなびっくり立ち上がるのに、暗闇のなかにある仄かな温もりを歌声に織り込んだサウンド・オブ・サイレンスほど相応しい曲はありません。輝は戦うことに対して、恐れを抱き続けてきました。過ちをおかしたかつての自分、そして欺瞞を抱える今の自分、すべてが彼にとっては恐怖の対象であったことでしょう。けれども輝の勇気は、彼が目を背け続けていた恐れのなかにこそあったのです。
 輝の特訓シーンでは、泣くほど燃えるサウンド・オブ・サイレンスを聴くことができます。
 『激戰』は失ったものは何度も取り戻せる、転んでも何度でも立ち上がれるんだという、再生の物語です。
 ダンテェ、らしくねェよ…あんた、どうしちまったんだ……。あんた、あんたもっととんがってはずだあ……。
 エンドロールとともに流れる彼らの辿りついた未来の光景ひとつひとつに、缶ビールを握り締めながら崩れおちました。
 不憫以外で震えるダンテ・ラム、あります。


 思わず手紙ということを忘れて、長々と語ってしまいました。どうぞ、お許しください。
 つい、遠まわしにものを言おうとしてしまうことは私の悪いくせなのです。


 端的に言うと、超やおい、でしたね。


 

やおい


 坊主がはじめて、わんこと唇重ねたとき、坊主、はじめてカレシの部屋にやって来たカノジョの顔、してた。
「ソ、『ソーリー』、じゃねえよお!?」
 錯覚か、はたまた私の妄想がとうとうモニタに念写されちゃったのかな、と思って巻き戻し、した。一時停止ボタンもこれでもかと、押した。何度も、何度も、繰り返した。
 錯覚でも、念写でも、なかった。あと私、べつに布団のなかでもなかった。起きてる。超起きてる。夢じゃない。
「こういうコト…好きなの?」
「……わりと」
 みたいな会話も坊主とわんこ、してた。わんこ、ちょっとフライングしたカレシの顔、してた。この師弟、トレーニングルームをもうカンペキにカレシの部屋にしてた。まわりにひと、超いた。
 そういえば監督も某誌のインタビューで言ってましたね。
「MMAを取材してたりすると、抱き合ったり、関節技や寝技を外したりしてる最中に、口と口が当たったりするのはよくあることなんだよね。」
 …って。
 この場面以降は、私のなかではもうずっと「マジでKISSする5秒前」ムービーだった。コイツらいつドッキリハプニング気取りのキッスをしだすか、わかったもんじゃねえ、とずっとハラハラしてました。もう完全にテレビ中継で息子の戦いを見守っているときの林パパの顔をしてましたね、私。ずっと。



この顔



激ラブ戰



さらに飲む


 そんなあっという間に蜜月に突入した坊主とわんこの間にアンディ・オンを投入せずにいられなかった監督のキモチ、すこしだけ、わかります。あいつら、放っておいたら、どこまでいっちゃうのか、知れたもんじゃない、カラ……。



李子天(アンディ・オン)


 小癪な若造の小生意気な表情をつくらせたらアジア一、アンディ・オンです。
 勝ち進む思齊の前に現れた挑戦者にしてラスボス。思齊にみせる挑発的な笑みと動き、そしてダイナミックな跳躍がとにかく魅せる。今回重火器を封印したダンテ・ラム監督が最後にぶっぱなしたRPG、それが彼です。
 実生活では動物大好きアンディ・オン。彼が獣のように歯をむき、腕を、足を、力強く振り上げるたびに「アンディ、お仕事頑張ってニャー」「頑張ってワーン」と彼の帰りを家で待つ、彼の愛する猫や犬たちの姿が背後霊のように透けて見えます。格闘してるアンディは格好良いニャー。ワンワーン、その通りだワーン…。
 勝気なパワーファイターである子天もきっと雨に濡れたカマキリに「お前も…独りか…」などと話しかけた挙句、そっと肩に乗せて連れ帰ったりしているのでしょう。


 そうしてアニマルソルジャー、アンディ・オンを迎えて最後のダンテ玉が弾けて飛んだ、その先にもさらに待ち受ける、やおい……。
 あ、それ…引っ張るン…だ……という衝撃。感謝。地上に恵みの雨は降り注ぎ、大地に黄金の稲穂は実った。ウィー・アー・ザ・ワールド。ウィー・アー・ザ……
 思い出しながら、取り乱してしまいました。


 そうそう、エディ・ポンのあほう面、最高でした。
 後半に進むにつれて、顔が引き締まっていく思齊ですが、前半はどこかぼんやりした坊ちゃんノリをひきずっているだけに隙のある表情が目立ちます。



 あっという間にトップブリーダーの貫禄を身につけた感のある輝に胸がときめく、いち場面ですが、このときの思齊のぽやんとした駄犬然とした顔はエディ・ポンのベスト顔仕事のひとつです。このあほう面のまま、戦いに尻込みする輝に対してさらりと「師父ならやれるよ」と言ってのけるのだからたまりません。
 そして坊主との初キッスを果たして、脳がとけて流れ出したかのような呆け面をさらして、彼の顔仕事はいっそう輝きを増していきます。
 エディ・ポンといえば瞳です。
 光にかざしたビー玉、海辺で拾ったガラス石、そういったものがたっぷりつまった幼子の宝箱のようなキラキラを、ふたつの目玉に宿したのが彼です。
 つぶらな瞳にほけっとゆるく開いた口がつくりだす、絶妙のあほう面。まさに愛すべき駄犬の面でした。
 師父の教えを素早く吸収し、学習能力の高さをみせつける一方で、師父の「待て!」だけは決して聞かない、わんこ…。
 今、私の目の前にもしも山脈が広々とそびえ立っていたとしたら、「わーんーこーぜーめー」と叫んでいたことでしょう。こだまもきっと応えてくれたはず。
 そして、そんな押せ押せなわんこにまんざらじゃなさ過ぎる、坊主……。
 ウィー・アー・ザ・ワールド。ビューティフル・ワールド……(※くりかえし)


 監督の投げたボール、思いもよらぬ方向から飛んできて、しっかりと私の頭にめり込みました。今もめり込んだままです。


 監督お得意の不憫アンド不憫、みっしりと詰まったずっしり重たい肉弾アクション、傷ついた人間たちが織り成す熱いドラマ、そしてやおい者たちの妄想がスクリーンに投影されたかのような真っ向スタイルの、やおい……。
 三段重ねの重箱の隅までおかずとごはんが隙間無く敷き詰められている張り切りすぎた弁当のような映画でした。


 ジョン・ウー監督『男たちの挽歌』、ジョニー・トー監督『暗戦』、ベニー・チャン監督『香港国際警察 NEW POLICE STORY』、ウィルソン・イップ監督『導火線』、ピーター・チャン監督『捜査官X』……ひとは誰しもやおいムービーをつくらずにはいられないのだと、歴史を振り返りながら思うばかりです。
 『激戰』も、きっと、やおい映画史に燦然と輝く一本になることでしょう。


 ノーやおい、ノーライフ。


 私もいつの間にか忘れていたもの、監督から受け取りました。ありがとうございます。
 どうぞ深い信頼で結ばれたニック・チョンと健やかな映画ライフをお送りください。


 かしこ